相談しても何も変わらない会社を辞める決心をしたら、ようやく自分の価値に気づけた

会社を辞めることにしました。

これまで、会社に対し、文句も要望も出さず、急に「辞める」と言うのは、社会人として如何なものかと言われたのですが、残念ながら、僕の決心は揺らぎません。

条件面を見直すから「退職を見送ってくれ」などと甘い話をされても、これまで散々、会社が従業員たちを裏切ってきたことを棚に上げ、手のひら返しをしてこようとも、僕を引き止めることは出来ないのです。

そもそも、基幹システム(販売管理、在庫管理、顧客管理、売上集計などなど)の設計〜開発・改修、社内インフラの整備・維持、ホームページの設計・デザイン・コーデンング・運用、ISMS(情報セキュリティマネジメント:ISO27001)の取得・改善・維持・審査対応、プライバシーマークの取得・維持・改善・維持・審査対応、社内サーバの運用などなどを一人で行っていた僕に、社内の『よろず屋』的にパソコンやスマホのトラブル対策までを押し付け、リソース不足を訴えても、知らんぷりをしていたのは会社だし、普通ならチームで行う仕事量を一人でこなしているのに「数字での評価は難しい」とか、ふざけたことを吐かし、相応の対価を払おうとしない会社に期待など抱くはずはありません。

僕は自他ともに認めるマイノリティで、多数派の意見はよく分からないけど、会社に対して文句を言ったり、改善点を指摘するという行為は、会社が変わってくれると期待をするからで、「どうせ、何を言っても変わらないだろう」と諦めてしまうと指摘をすることすら面倒くさくなり、辞めるキッカケを探すようになるのです。

実際、僕が最後に会社に対して声を上げたのは、もう1年以上前のことでした。その時も結局、社長は「検討する」という決まり文句で終わらせ、何の変化もありませんでした。それ以降、僕は完全に沈黙を貫くようになりました。

同僚たちは「なぜ何も言わないのか」と不思議に思っていたようですが、彼らには理解できないでしょう。期待を裏切られ続けることの辛さを。声を上げることで生まれる僅かな希望が、再び打ち砕かれる瞬間の虚しさを・・・。

会社は僕のことを「優秀だが扱いにくい人材」と評価していたようです。確かに僕は、他の社員のように愛想笑いを浮かべながら理不尽を受け入れることはできません。納得のいかない業務指示には疑問を呈し、非合理的なルールには反発していました。でも、それは決して反抗的な態度からではなく、会社をより良くしたいという純粋な思いからだったのです。

ところが、会社側はそれを「協調性の欠如」と捉えていました。僕が技術的な専門知識を活かして提案する改善案も「現場を知らない理想論」として一蹴されることが多かったのです。そんな扱いを受け続けているうちに、僕は次第に発言することを控えるようになりました。

そして今回の退職の件。社長は「もっと早く相談してくれれば対応できたのに」と言いましたが、これまで散々相談してきた結果がこの状況です。相談しても変わらない、提案しても採用されない、改善を求めても検討止まり。そんな環境で、なぜ今さら相談する必要があるのでしょうか。

僕が会社に求めていたのは、決して高望みではありませんでした。適正な評価、合理的な業務分担、そして従業員の声に耳を傾ける姿勢。これらは、健全な組織であれば当然あるべきものです。ですが、我が社にはそれがありませんでした。

特に辛かったのは、僕が一人で抱えている業務の重要性を、誰も理解してくれなかったことです。基幹システムが止まれば会社の業務は完全にストップし、セキュリティが破綻すれば会社の信用は地に落ちる。それなのに、これらの仕事は「目に見えない」という理由で軽視されていました。システムの安定稼働やセキュリティ事故ゼロの継続といった「何も起こらない」ことの価値を、経営陣は理解してくれませんでした。

「予防は治療に勝る」という言葉がありますが、予防の効果は目に見えにくいものです。僕がシステムの保守や改善に費やした時間は、将来発生するかもしれない大きな損失を防いでいたのですが、それは「起こらなかった出来事」なので評価の対象にならないのです。

そんな状況の中で、ホームページの運用、各種認証の取得と維持、さまざまなトラブル対応。気がつけば、僕は会社のITインフラ全体を一人で支える存在になっていました。しかし、それでも評価は変わりません。むしろ「彼に任せておけば大丈夫」という安心感から、さらに多くの業務が押し付けられるようになったのです。そして、僕が疲弊していることに気づく人は誰もいませんでした。

休日にも緊急対応の連絡が入ることは日常茶飯事でした。深夜にサーバがダウンすれば、家族との時間を犠牲にして復旧作業にあたりました。それでも、翌日には「お疲れさま」の一言もなく、当然のこととして扱われていました。

そんな僕の状況を変えたのは、意外にも他社からの転職オファーでした。過去の仕事で知り合った企業の採用担当者から連絡があり、カジュアル面談の機会をいただいたのです。

その面談で、僕は初めて自分の市場価値を客観視することができました。相手企業の人事部長は、僕のスキルセットと実績に驚き、「一人でこれだけの業務をこなしていたなんて信じられない」と言ってくれました。そして、提示された条件は、現在の待遇を大幅に上回るものでした。

その時、僕は気づいたのです。問題は僕の能力不足ではなく、現在の会社が僕の価値を正当に評価していないことだったのだと。

長年この会社にいたため、自分が当たり前にこなしている業務のレベルの高さを、僕自身が理解していませんでした。嘘です。気づいていました。ヤバいレベルで仕事をしていました。

転職を検討し始めてから、僕は改めて自分の業務内容を整理してみました。すると、通常なら複数の専門職が分担して行う業務を、僕一人で担当していることが明確になりました。システムエンジニア、インフラエンジニア、プログラマーWebデザイナー、Webマーケッター、セキュリティ担当者、そして社内のIT全般サポート。これらの役割を一人で果たしているのですから、相応の待遇を求めるのは当然のことでした。

しかし、我が社はそれを理解しようとしません。僕が複数人分の業務をこなしていることを「効率的」だと捉え、人件費削減の成功例として誇らしげに語っていたのです。

最終的に退職を決意したのは、会社の将来性に対する不安も大きな要因でした。デジタル化が急速に進む中、この会社のIT戦略は明らかに時代に取り残されていました。僕が提案する新技術の導入や業務改善案は、コスト面を理由に却下され続けていました。

このままでは、会社の競争力は確実に低下し、僕自身のスキルも陳腐化してしまう恐れがありました。変化を恐れ、現状維持に固執する組織では、個人の成長も望めません。

退職の意思を伝えた時の社長の反応は、予想通りでした。まず驚き、次に慌て、そして引き留めの提案。しかし、それらはすべて表面的なものでした。根本的な問題である組織文化や評価制度の見直しについては、一切触れられませんでした。

「君がいなくなったら困る」と言われましたが、それは僕を評価しているからではなく、単純に業務が回らなくなることを恐れているだけでした。僕という人間ではなく、僕の労働力を失うことを問題視しているのです。

僕はもう、この会社に何も期待していません。期待するから失望してしまいます。期待を捨てることで、僕は初めて冷静に自分の将来を考えることができるようになりました。

新しい環境では、僕のスキルと経験がきっと正当に評価されるでしょう。そして、僕自身もさらなる成長を遂げることができるはずです。後悔はありません。これまでの経験すべてが、次のステップへの糧となるのですから。

会社を辞めることは、逃げることではありません。自分の価値を理解し、それに見合う環境を求めることは、プロフェッショナルとして当然の行動です。僕は、新しい挑戦に向けて歩み続けます。