会社を辞める決意をしたけど、正直、怖い。
会社に希望も将来性も感じられなくなりました。
このままここにいても、自分が成長することはないでしょう。いや、それどころか、気づけば心も身体もすり減らされていくだけです・・・そう確信して、僕は退職を決意しました。
長年勤めた会社を去るというのは、思った以上にエネルギーを使います。退職届を提出した瞬間、肩の荷が下りたような感覚は確かにありました。でも、それと同時に、冷たい現実が忍び寄ってくるんですよね。
「この先、本当にやっていけるのか?」
「家族を路頭に迷わせることにならないか?」
という、どこかで聞いたことのあるような不安が、まるでじわじわと浸食してくる湿気のように、心に染みてくるのです。
退職を決意するまでに、僕なりに時間をかけて考えたつもりでした。自分のキャリア、家計の状況、妻の意見、子どもの進学・・・頭の中で何度もシミュレーションを繰り返しました。理屈では、「大丈夫」のはずです。
でも、理屈で割り切れないのが「生きる」ということです。
「会社」という呪縛
なぜここまで不安に感じるのでしょうか?
それは「会社」というシステムに、僕がどっぷり浸かってきたからだと思います。
毎月決まった日に給与が振り込まれ、年に数回ボーナスがあり、厚生年金や健康保険が完備されています。それらの当たり前が、実は会社員という枠組みに守られているからこそ成り立っていることに、辞めて初めて気づきました。
いや、気づいてはいたけど、ちゃんと向き合おうとしなかったんです。
まるで実家のように、煩わしくもありながら、どこか居心地の良い存在だったのです。
会社に属していれば、理不尽な上司にも耐えなければならないし、意味のない会議にも参加しなければなりません。でも、その代償として、「安定」という名の鎧を身にまとえていました。
退職とは、その鎧を脱ぎ捨てることに等しい。裸一貫で世の中に飛び込む恐怖。今、まさに僕はその寒さを肌で感じています。
社会とどうつながるか
これから、僕はどう生きていくのか。
「起業」「フリーランス」「転職」「アルバイト」「兼業」——選択肢は無数にあるように感じます。でも、どれを選んでも、結局は「社会とのつながり方」をもう一度、自分で定義し直す作業が必要になります。
会社という組織は、強制的にそのつながりを与えてくれていました。
でも今は、自分で探さなければなりません。
ふと、本かネットで見かけた、ある言葉が頭に浮かんできました。
「不安と孤独を飼い慣らせたとき、人は自由になる」
自由の代償は、不安と孤独です。
だが、その不安と孤独を自分なりに受け入れ、使いこなせるようになれば、もしかしたら今まで見たことのない景色が見えてくるかもしれません。
変化を恐れない自分になる
はっきり言って、怖いです。恐怖を感じています。
退職して本当に良かったのかと、夜中に目が覚めては布団の中で何度も自問自答しています。
だけど、今の自分・・・ただ会社の椅子に座り、心の奥で「これでいいのか」と問い続けていた自分に戻りたいかと聞かれたら、答えは「NO」です。
怖くても、不安でも、「自分で選んだ道」を歩こうと思います。それだけで、少しだけ胸を張れる気がします。
最後に
会社を辞める決心をした今、ようやくわかったことがあります。
それは、「安定」や「安心」という言葉は、実は他人が与えてくれるものではなく、自分の内側からしか湧き出てこないということ。
いくら大企業に勤めていても、自分自身が納得していなければ、それは「仮の安定」にすぎません。
逆に、不安だらけの状況でも、「自分で選び、動いている」という実感があれば、人は案外強くなれるのかもしれないですよね。
これからどうなるかなんて、誰にもわかりません。
でも、自分の人生を「誰かの指示」で生きるのではなく、「自分の意志」で生きてみたい。
そう思えるようになった今、僕はようやく、スタートラインに立てたのかもしれません。
いや、でも怖い・・・